ぽっかりと空いたわたしの空洞は、男では埋まらないことを知っている。
「好きな人じゃなくてもできるし、したからって好きにもならない。」
実に私だと思う。
セックスをする相手は選びはするけど、かと言ってその人を好きかと聞かれたら困る。
セックスをしてる相手に好きだと言われたらもっと困る。
付き合おう、って言われたらどうするだろう。
体を重ねて睦み合って、相手の部屋に馴染んで来たこの体にももちろん情はある。
でも、好きではない。たぶん。
そもそも、セックスをし始めた動機が不純だった。
ネットで暇つぶしに読んだ漫画で、主人公が夢破れてヤケになって吸ったことのないタバコを吸おうとしていた。それを隣の部屋に住む年上男性が止める。「あなたの歳になるまであなたの人生に必要なかったものは、これからも必要ない」そう言って止める。主人公はたしか25歳だった。私は24歳だった。
24歳の私は恋愛経験がなかった。3年片思いしては気持ちが自然消滅していく片思いのプロではあったけど、付き合ったことはなかった。当然、セックスをしたこともなかった。
このまま25歳になったら、「誰かと付き合うということ」が私の人生には必要ないことになるんだ。
このまま25歳になったら、セックスも私の人生には必要ないものになるんだ。
物凄い焦りが心を突き抜けていった。
世の中の人が人生の甘みとして享受し、溺れ、耽るあの行為がわたしの人生には必要ないものだと切って捨てられるのか。秘密の世界、快楽の頂点、生きる醍醐味ともいえるあのセックスを。
何にしても、単純に経験しておきたかったのだ。みんなが楽しむことを私も楽しみたい。
人と付き合うことよりもセックスをしてしまう方が簡単だった。当時の私には都合よく「そこに定住もしないけど、得体が知れないわけでもない、後腐れのない好色な男の人」が近くにいたのでその人とセックスをした。25歳になる3ヶ月前だった。
始めてのセックスは、波打ち際の少し荒い波に遊ばれているようだった。意思を持たないまま蹂躙される身体。蹂躙、という言葉がこれほどまでに似合う。
けれど終わってしまって、男の人と次の日のお昼前には別れて、スタバの2階席から見る街の景色は代わり映えしなかった。私は死にも生まれ変わりもしなかった。そうだよねぇ、と腑に落ちて、「25歳までにことを済ませた女」という安心感を得て心は落ち着いた。その人との2度目はなかった。
そして今度はアプリで相手を探す。
真面目な出会い系アプリにしたのは、それでも私がこういうことに不慣れな自信があったからだ。
あまりにノリノリな相手に当たってこなした数の一部にされても虚しい。
男性だとヤリモク、とか言われて気の毒だな、と思っている。
今の相手とは月1か2のペースで会って、1年以上続いている。
付き合ってんじゃん、と側から聞いたら言うと思う。
そうかもしれない、そうなるかもしれない、思うこともある。
でも、相手の「子どもできたら、本当にどうする?」という言葉ですっと醒める。
困る。あなたとは付き合ってない。結婚もしない。
もうコンドームもしてないけど、そんなつもりじゃない。
コンドームなしで盛り上がるやらしい空気が好きなだけ。
どうしよっか、と囁いて頬をなでて、唇を喰んで有耶無耶にする。
セックスは好きだ。とろとろに溶けて自分の輪郭がゆるむ感じ。好きなようにされたい。欲しいのは自分のじゃない体。私のじゃない熱と重みと厚みでもって、私を制圧してくれる体が欲しい。
一方で、相手を空っぽの心で見ている自分がいる。
好きじゃないしな、と思って身支度をして帰途につく。
足を開いて受け入れている間は、好きとか好きじゃないとか、そんなものほっぽって行為に没頭したい。だから乳首を噛まれて喘ぐ。
今の相手のそれはとても大きい。
いたい。無理やりこじ開けられる入り口が、引き裂かれるような痛み。
大丈夫?と尋ねられて小声で大丈夫、とオウム返しをする。
心の中と真逆のか細いささやき。
あぁ、おっきい、と映像の中の女が呟くのを知っているけど、
大きいはずのそれをお腹の中に感じられない。
入り口ばかりが痛いだけで、中に入っているものかどうか、いつもわからない。
入ってる?と息も絶え絶えに尋ねたことが何度かある。全部入ったよ。
まさか、体の中にこれだけの容量を差し込んでるのに、
埋まることがないくらいわたしの中の空洞はでかいのか。すかすかじゃん。
不安に思って、わたしの中、ちゃんと気持ちいい?と聞いたこともある。
割と喜ばれるらしいその言葉に、気持ちいいからいくんだよ、と甘やかに答えられる。
なんてこった、わたしは全く分からないのに。
裂けた小さな穴の痛みに耐えかねて、大丈夫だから、好きに動いて、と耳元で囁く。すごいこと言うなぁと嬉しそうに返されて、そうじゃない、と唇を噛む。
入り口ばっかり狭いくせに。
ぽっかりと空いたわたしの中の空洞は、男では埋まらないことを知っている。
実に私だと思う。
セックスをする相手は選びはするけど、かと言ってその人を好きかと聞かれたら困る。
セックスをしてる相手に好きだと言われたらもっと困る。
付き合おう、って言われたらどうするだろう。
体を重ねて睦み合って、相手の部屋に馴染んで来たこの体にももちろん情はある。
でも、好きではない。たぶん。
そもそも、セックスをし始めた動機が不純だった。
ネットで暇つぶしに読んだ漫画で、主人公が夢破れてヤケになって吸ったことのないタバコを吸おうとしていた。それを隣の部屋に住む年上男性が止める。「あなたの歳になるまであなたの人生に必要なかったものは、これからも必要ない」そう言って止める。主人公はたしか25歳だった。私は24歳だった。
24歳の私は恋愛経験がなかった。3年片思いしては気持ちが自然消滅していく片思いのプロではあったけど、付き合ったことはなかった。当然、セックスをしたこともなかった。
このまま25歳になったら、「誰かと付き合うということ」が私の人生には必要ないことになるんだ。
このまま25歳になったら、セックスも私の人生には必要ないものになるんだ。
物凄い焦りが心を突き抜けていった。
世の中の人が人生の甘みとして享受し、溺れ、耽るあの行為がわたしの人生には必要ないものだと切って捨てられるのか。秘密の世界、快楽の頂点、生きる醍醐味ともいえるあのセックスを。
何にしても、単純に経験しておきたかったのだ。みんなが楽しむことを私も楽しみたい。
人と付き合うことよりもセックスをしてしまう方が簡単だった。当時の私には都合よく「そこに定住もしないけど、得体が知れないわけでもない、後腐れのない好色な男の人」が近くにいたのでその人とセックスをした。25歳になる3ヶ月前だった。
始めてのセックスは、波打ち際の少し荒い波に遊ばれているようだった。意思を持たないまま蹂躙される身体。蹂躙、という言葉がこれほどまでに似合う。
けれど終わってしまって、男の人と次の日のお昼前には別れて、スタバの2階席から見る街の景色は代わり映えしなかった。私は死にも生まれ変わりもしなかった。そうだよねぇ、と腑に落ちて、「25歳までにことを済ませた女」という安心感を得て心は落ち着いた。その人との2度目はなかった。
そして今度はアプリで相手を探す。
真面目な出会い系アプリにしたのは、それでも私がこういうことに不慣れな自信があったからだ。
あまりにノリノリな相手に当たってこなした数の一部にされても虚しい。
男性だとヤリモク、とか言われて気の毒だな、と思っている。
今の相手とは月1か2のペースで会って、1年以上続いている。
付き合ってんじゃん、と側から聞いたら言うと思う。
そうかもしれない、そうなるかもしれない、思うこともある。
でも、相手の「子どもできたら、本当にどうする?」という言葉ですっと醒める。
困る。あなたとは付き合ってない。結婚もしない。
もうコンドームもしてないけど、そんなつもりじゃない。
コンドームなしで盛り上がるやらしい空気が好きなだけ。
どうしよっか、と囁いて頬をなでて、唇を喰んで有耶無耶にする。
セックスは好きだ。とろとろに溶けて自分の輪郭がゆるむ感じ。好きなようにされたい。欲しいのは自分のじゃない体。私のじゃない熱と重みと厚みでもって、私を制圧してくれる体が欲しい。
一方で、相手を空っぽの心で見ている自分がいる。
好きじゃないしな、と思って身支度をして帰途につく。
足を開いて受け入れている間は、好きとか好きじゃないとか、そんなものほっぽって行為に没頭したい。だから乳首を噛まれて喘ぐ。
今の相手のそれはとても大きい。
いたい。無理やりこじ開けられる入り口が、引き裂かれるような痛み。
大丈夫?と尋ねられて小声で大丈夫、とオウム返しをする。
心の中と真逆のか細いささやき。
あぁ、おっきい、と映像の中の女が呟くのを知っているけど、
大きいはずのそれをお腹の中に感じられない。
入り口ばかりが痛いだけで、中に入っているものかどうか、いつもわからない。
入ってる?と息も絶え絶えに尋ねたことが何度かある。全部入ったよ。
まさか、体の中にこれだけの容量を差し込んでるのに、
埋まることがないくらいわたしの中の空洞はでかいのか。すかすかじゃん。
不安に思って、わたしの中、ちゃんと気持ちいい?と聞いたこともある。
割と喜ばれるらしいその言葉に、気持ちいいからいくんだよ、と甘やかに答えられる。
なんてこった、わたしは全く分からないのに。
裂けた小さな穴の痛みに耐えかねて、大丈夫だから、好きに動いて、と耳元で囁く。すごいこと言うなぁと嬉しそうに返されて、そうじゃない、と唇を噛む。
入り口ばっかり狭いくせに。
ぽっかりと空いたわたしの中の空洞は、男では埋まらないことを知っている。