彼の電話番号が書かれた煙草に、涙を拭って火をつけた。
21歳の夏は、やけに蒸し暑かった。
交差点、私はごった返す人の流れを無視する。
女子高生の笑い声、無名のYouTuberが回すビデオカメラ。
ひっくり返った蝉はもう鳴くことはないらしい。夢に敗れた人もそう。失恋したばかりの私もそう。
行きたくなかった飲み会の帰り、最終電車に乗り込むことを諦めた私は駅前で座り込んでいた。
私がいなくても成り立つような飲み会に孤独を感じていたから。それだけの理由。
「お姉さん何してんの」
男の人に声をかけられる。
ヤれそうな女だと思われた不甲斐なさを隠すように私は睨みつけた。顔はよく見えない。
「雨、ふるよ」
睨みつけた彼の向こう側は曇天だった。
眠らない街の光に照らされた重たい雲は、まるで私だった。
彼は持っていたビニール傘を私に渡して、
「風邪ひかないようにね〜」
と手をひらひらさせながら終電のない街に溶けていった。
それが私と彼との出会い。
ナンパのようでナンパでない、変な人との出会い。
その日から数週間経って、そんなことも忘れかけていた。
いつも通り煙草臭い居酒屋で働く日常。
「すみませーん、注文お願いします」
めんどくさいという気持ちをかかとで潰して、注文を取りにいった。
メニューを見つめる顔に見覚えが。
しかし思い出すよりも先に声がかかる。
「あれ、この前のお姉さんじゃん。」
傘の人だった。
「雨、大丈夫だった?」
その言葉は優しさなのかなんなのか、
私にはわからなかった。
「おかげさまで雨に濡れずに済みました、ありがとうございます」
当たり障りのない言葉を伝えたつもりだった。
「ん、ならよかった」
口角を少しだけ上げて笑う彼にドキッとする。
「傘、返すので連絡先教えてくれませんか。」
口をついて出た言葉に驚いた。
まさか自分がそんなことを言うなんて信じられなかった。でも言ってしまったのだ。
彼の声が心地よかったから、それだけだった。
空いたグラスを取りにいった時、彼は1本の煙草に電話番号を書いて渡してくれた。
家に真っ直ぐ帰った私は、煙草を見つめながら電話をした。
バイトの応募の電話より緊張した。
「もしもし」
優しい声が電話の先から聞こえる。
「あっ、あの居酒屋のバイトの」
しどろもどろに答える私に、彼はケラケラと笑っていた。
「もしかして緊張してくれてんの?」
彼はまだ笑っている。
電話の先で煙草に火をつけた音がした。
「そんで、いつ会う?」
突然の低い声に心臓が高鳴る。
「いつでもいいですよ、いつ空いてますか?」
「今から」
突然のことで驚いたけど、私はすんなりOKを出した。
タクシー代出すからタクシーで来ていいよ、と言われたけど、私は急いで支度をして終電で向かった。
駅まで迎えに来てくれた彼の髪は濡れていて、妙に色っぽい。
身長も思ったより高かった。サンダルにゆるいTシャツ、短パン。
蝉は相変わらずうるさく鳴いていた。
駅前のコンビニでハイボールと発泡酒を買った。
飲みながら彼の家に向かう途中、彼は私の手元を見て言った。
「あれ、傘は?」
“急いでいたせいで忘れた”という理由は後付けで、本当はまた会う口実を作るため。
「ドジっ子じゃん」
と笑う彼に私も釣られて笑った。
そして私はそのくしゃくしゃの笑顔に、心を完全に奪われてしまった。
彼の部屋に着くと、ふわっと煙草の香りがした。
お酒のせいなのかその香りのせいなのか、頭がくらくらする。
おいで、と手を引かれベッドに座った。
見つめあってキスをした。
いつの間にかブラジャーのホックは外されていて、押し倒される。
そこからの記憶は、思い出しても曖昧なまま。
その日を境に私たちはよく会うようになった。
セックスをしたり、デートをしたり。
どこまで行っても都合の良い関係だった。
私も同じ煙草を吸うようになった。
彼との共通点がほしくて必死だった私と、
私との共通点を作らないようにしていた彼。
身体は交わっても、心は永遠に交わらない日々を続ける2人。
いつの間にか秋は終わり、冬が来ていた。
天気予報は曇りのち雨。
私は彼にもらったビニール傘を持ってきていた。
「出会ったときもこんな空だったよね」
そう呟く私を見つめて悪びれもなく言う。
「そうだっけ?」
その一言で何かがぷつんと切れて涙が頬を伝った。
「私たちずっとこのままなの?」
進まない関係、曖昧な態度。
全てをどうにかしたくて発した言葉は煙になる。
沈黙が続く。
「ごめん」
泣いてる私に謝っているのか、
それとも付き合えないとフったのか。
私にはわからないままだった。
上着と傘、それと煙草だけを持って家を飛び出す。
追いかけてくれない彼を心底嫌いになった、つもりでいた。
涙でぐちゃぐちゃの顔のまま駅前のコンビニまで走った。
軒の下で涙を拭って、煙草に火をつける。
彼がくれた電話番号の書かれた煙草。
お守りみたいに持ち歩いていたのだ。
私たちの関係みたいに湿気っていたけど甘かった。
深く吸って吐き出す。
「もういいや」
独り言を呟いて煙草の火を消した。
彼からもらったビニール傘をコンビニに置いて、私は最終電車に乗り込む。
もう二度と、二度と会わない。そう誓って。
東京の冬、0時39分。
今にも雨が降りそうな曇天だった。
交差点、私はごった返す人の流れを無視する。
女子高生の笑い声、無名のYouTuberが回すビデオカメラ。
ひっくり返った蝉はもう鳴くことはないらしい。夢に敗れた人もそう。失恋したばかりの私もそう。
行きたくなかった飲み会の帰り、最終電車に乗り込むことを諦めた私は駅前で座り込んでいた。
私がいなくても成り立つような飲み会に孤独を感じていたから。それだけの理由。
「お姉さん何してんの」
男の人に声をかけられる。
ヤれそうな女だと思われた不甲斐なさを隠すように私は睨みつけた。顔はよく見えない。
「雨、ふるよ」
睨みつけた彼の向こう側は曇天だった。
眠らない街の光に照らされた重たい雲は、まるで私だった。
彼は持っていたビニール傘を私に渡して、
「風邪ひかないようにね〜」
と手をひらひらさせながら終電のない街に溶けていった。
それが私と彼との出会い。
ナンパのようでナンパでない、変な人との出会い。
その日から数週間経って、そんなことも忘れかけていた。
いつも通り煙草臭い居酒屋で働く日常。
「すみませーん、注文お願いします」
めんどくさいという気持ちをかかとで潰して、注文を取りにいった。
メニューを見つめる顔に見覚えが。
しかし思い出すよりも先に声がかかる。
「あれ、この前のお姉さんじゃん。」
傘の人だった。
「雨、大丈夫だった?」
その言葉は優しさなのかなんなのか、
私にはわからなかった。
「おかげさまで雨に濡れずに済みました、ありがとうございます」
当たり障りのない言葉を伝えたつもりだった。
「ん、ならよかった」
口角を少しだけ上げて笑う彼にドキッとする。
「傘、返すので連絡先教えてくれませんか。」
口をついて出た言葉に驚いた。
まさか自分がそんなことを言うなんて信じられなかった。でも言ってしまったのだ。
彼の声が心地よかったから、それだけだった。
空いたグラスを取りにいった時、彼は1本の煙草に電話番号を書いて渡してくれた。
家に真っ直ぐ帰った私は、煙草を見つめながら電話をした。
バイトの応募の電話より緊張した。
「もしもし」
優しい声が電話の先から聞こえる。
「あっ、あの居酒屋のバイトの」
しどろもどろに答える私に、彼はケラケラと笑っていた。
「もしかして緊張してくれてんの?」
彼はまだ笑っている。
電話の先で煙草に火をつけた音がした。
「そんで、いつ会う?」
突然の低い声に心臓が高鳴る。
「いつでもいいですよ、いつ空いてますか?」
「今から」
突然のことで驚いたけど、私はすんなりOKを出した。
タクシー代出すからタクシーで来ていいよ、と言われたけど、私は急いで支度をして終電で向かった。
駅まで迎えに来てくれた彼の髪は濡れていて、妙に色っぽい。
身長も思ったより高かった。サンダルにゆるいTシャツ、短パン。
蝉は相変わらずうるさく鳴いていた。
駅前のコンビニでハイボールと発泡酒を買った。
飲みながら彼の家に向かう途中、彼は私の手元を見て言った。
「あれ、傘は?」
“急いでいたせいで忘れた”という理由は後付けで、本当はまた会う口実を作るため。
「ドジっ子じゃん」
と笑う彼に私も釣られて笑った。
そして私はそのくしゃくしゃの笑顔に、心を完全に奪われてしまった。
彼の部屋に着くと、ふわっと煙草の香りがした。
お酒のせいなのかその香りのせいなのか、頭がくらくらする。
おいで、と手を引かれベッドに座った。
見つめあってキスをした。
いつの間にかブラジャーのホックは外されていて、押し倒される。
そこからの記憶は、思い出しても曖昧なまま。
その日を境に私たちはよく会うようになった。
セックスをしたり、デートをしたり。
どこまで行っても都合の良い関係だった。
私も同じ煙草を吸うようになった。
彼との共通点がほしくて必死だった私と、
私との共通点を作らないようにしていた彼。
身体は交わっても、心は永遠に交わらない日々を続ける2人。
いつの間にか秋は終わり、冬が来ていた。
天気予報は曇りのち雨。
私は彼にもらったビニール傘を持ってきていた。
「出会ったときもこんな空だったよね」
そう呟く私を見つめて悪びれもなく言う。
「そうだっけ?」
その一言で何かがぷつんと切れて涙が頬を伝った。
「私たちずっとこのままなの?」
進まない関係、曖昧な態度。
全てをどうにかしたくて発した言葉は煙になる。
沈黙が続く。
「ごめん」
泣いてる私に謝っているのか、
それとも付き合えないとフったのか。
私にはわからないままだった。
上着と傘、それと煙草だけを持って家を飛び出す。
追いかけてくれない彼を心底嫌いになった、つもりでいた。
涙でぐちゃぐちゃの顔のまま駅前のコンビニまで走った。
軒の下で涙を拭って、煙草に火をつける。
彼がくれた電話番号の書かれた煙草。
お守りみたいに持ち歩いていたのだ。
私たちの関係みたいに湿気っていたけど甘かった。
深く吸って吐き出す。
「もういいや」
独り言を呟いて煙草の火を消した。
彼からもらったビニール傘をコンビニに置いて、私は最終電車に乗り込む。
もう二度と、二度と会わない。そう誓って。
東京の冬、0時39分。
今にも雨が降りそうな曇天だった。