ヤりたいならヤりたいって素直に言えよ
恋をしていた。犬みたいな笑顔が可愛い男に。
隣のクラスにいる彼の、少し掠れた低めの声。タレ目で涙袋がぷっくりとしているところ、ぽこっと飛び出た喉仏。タイプだなあ、と廊下ですれ違うたびに視線を送っていた。
あるとき偶然、実習で同じグループになり、毎日話しかけられるようになった。
会話を重ねるうちに、彼の見た目だけでなく、彼の勉強が苦手なところ、サッカーが大好きなところ、少し抜けているところ、中身まで好きになってしまった。
噂によると、彼は女性経験が無くて、好きなタイプはおとなしめの女の子のようだった。
黒髪でおとなしめの私は、噂のタイプに当てはまっている。
これは、もしかしたら、付き合えるかも!なんて期待した。
話すようになって一ヶ月。気づけば毎日他愛もないLINEをするようになった頃。
「一緒に勉強しようよ」
と、勉強デートに誘われた。
これでもっと仲良くなれば付き合えるかも、なんて。胸がドキドキした。
デート後の23時。辺りは真っ暗闇。もう遅いから、と彼が車で送ってくれることになった。
当たり前だが、車に二人きり。
隣に座る彼の薄いカサカサとした唇や、ぽこっと飛び出た喉仏を、ここぞとばかりにじっと見つめる。
彼の身体のパーツ一つ一つが男らしくて、色気を感じる。胸がドキリと高鳴った。
ああ、やっぱり好きなんだなあ、彼のこと。
話しているうち、自然に恋愛の話題になった。
「今は彼女はいらないかなって感じなんだよね。お前は?」
いやあ、あんたと付き合いたいけど、と心の中で呟く。
そうか、わたしと付き合う気もないのか。残念無念。
というか私、今牽制された?お前とは付き合う気はないぞ、って?
ならデートになんか誘うなよ。
外の景色を眺めながら、黙って思考を巡らせていると、彼が突然足を小刻みに揺らし、ソワソワし始めた。
どうしたんだろうと思い、彼の目線を追ってみる。
視線の先にはラブホテルが連続して立っていた。
「なんか突然キスしたくなるときってない?俺、変なのかな」
「それは、どうだろうね」
と答えるも、心の中では「変だよ。キスしたくなる前に好きとかそういう感情が来るのが普通じゃないの?それってただムラムラしている状態なんじゃないの」と突っ込む。
そういうのは、彼女とするものなんだよ。
だから、私に言われてもやってあげられないよ。
付き合う気ないんでしょ。だったら言われても困るし。
彼を見るとまた、ソワソワと落ち着かない様子。
なんか、キモい。
心なしか身体も近づいてくる。
彼が私の胸元に、チラチラと視線を送ってきている。
車の外に見えるラブホテルは、虹色のネオンで煌々としている。
ああ、そうか。
彼は私とキスして、その後ここに入りたかったのか。
でも、事後に付き合ってとか言われるのも面倒だから、彼女はいらないと言ってきたのか。
うざい、ずるい。
私が好きなの分かってて言ったな。
ここで「わたしもキスしたくなるよ」と言って優しく口づけを交わせば、ホテルに入って彼とすることが出来るのだろうか。
それはそれで魅力的な話だ。顔も中身もタイプで好きな人なら、一回くらいねえ。
だけど、目の前でソワソワとする彼は、もう私が好きな「サッカーが好きでポンコツな犬みたいに可愛い存在」じゃない。
くそダサいただの男で、ただのオスだ。
というか、こいつは私に誘わせる気なのか。
ヤリたいならヤリたいって素直に言えよ。童貞。気持ち悪いな。
私は笑顔で、
「早く家に帰して、お母さんがご飯作って待ってるの」
ソワソワと落ち着かない彼に返事した。
それきり彼とデートすることもなく、話す頻度も減っていった。
二人の間には何事もなかったかのように時が過ぎ、そのまま私と彼は専門学校を卒業した。
社会人になってからも彼とは疎遠のままだ。
彼とはちゃんと付き合いたかったのになあ。
結構好きだったのになあ。
ちゃんと段階踏んでくれていたらなあ。
今でもたまに思い出す、少しだけ苦い専門学生の頃の思い出だ。