高嶺の花なんてくそくらえ
「ゆりちゃんはずっと可愛いよ」
そんな空っぽの言葉が欲しかったんじゃない。
本当は同世代の男の子が得意ではなかったのだが、せっかく大学生になったのだからと私はフットサルサークルに入った。
そこで出会ったのが彼だった。
男女関係なくみんなに優しく、唯一、自然に話せる数少ない男の子。
不思議なことに在学中はこんな私のことをとにかく「可愛い」と言っていた。
周りもそれを知っていて、密かにあの2人はそのうち付き合うんじゃないかと言われていたが実際はお互いそれぞれまったく違うひとと付き合ったり別れたりしていたし、キスの一つも2人でデートしたこともなかった。
大学を卒業してからはなんとなくSNSで姿を見かけるだけの希薄な関係で、連絡を定期的に取り合うこともない。
まだサークルの仲間で集まってるんだな、とか、いつものあそこで飲んでたんだ、とか。あの時付き合ってた彼女とは別れたんだ、と、Instagramから消えた彼女との思い出の写真がどんなものだったか、私は何故かなんとなく思い出せる。
たまたまだった。
3年ほど付き合っていた彼氏と別れようか悩んでいる私の話を職場の先輩がきいてくれると、焼き鳥が美味しい居酒屋でハイボールを飲み干そうとした時。
「ほかに誰かいないの?男友達とか」
そう言われてふと顔を思い出したのが例の彼だったのだ。
学生時代唯一、私が自然に話せたひと。
「俺の高嶺の花なんだ」
変わってると思った。
そんな手の届かないような綺麗なものじゃない。その辺で生えてる雑草みたいな私を、会った時からずっと良く言ってくれる。
だけどそれ以上越えてこない。
それが心地よかったのかもしれない。
本当にたまたまだった。
久しぶりに飲みに行こうと誘ったのは私。
2人で飲みに行くのは初めてだったと思う。
渋谷駅で待ち合わせて、彼が前日に予約をしてくれていたというお店へ向かう。「実は予約してるんだ」と照れ臭そうに彼は笑った。
「最近はどう?」
「うーん、まずまずかな」
今日は美味しいビールが出てくる少しお洒落なバルでオリーブを食べながら彼の近況をきく。
仕事が楽しいこと。
彼女がしばらくいないこと。
共通の友人の結婚式に行ったこと。
「ゆりちゃんは?まだ彼氏と付き合ってるの?」
「別れたよ、このあいだ」
私はそう目を伏せて、言った。もうビールがぬるい。なんて言っていいかわからないのだろう、彼は少し残ったラガービールを飲み干して気まずそうに言葉を絞り出した。
「え、いつ?」
1ヶ月前くらいかな、と嘘をついた。
だって本当は今日別れてきたんだもの。そう、今日、お別れしてきたの。
それから彼は、ゆりちゃんならすぐつぎの彼氏ができるよ、職場の同僚を紹介しようか、どんなひとが好きなの、と慰めてくれるようだった。
「そうだねぇ、大学生の頃と比べると垢抜けたと思うし最近はお誘いも増えたから、すぐ彼氏できちゃったりして」
「ゆりちゃんは大学生の頃からずっと可愛いよ」
私のことを可愛いと言うこの男は、
同じサークルで他の女の子と長く付き合っていた。
おそらく今思えば能天気で気づいていなかったけれど、当時の彼女は私のことをよく思っていなかったんだろう。彼女と話した記憶がほとんどないし、声も思い出せない。彼と別れた今、彼女はどうしてるんだろう。思えば彼女は、スイートピーみたいな女の子だった。
「ゆりちゃんは、俺の高嶺の花だからずっと手が届かない存在でいてほしいんだ」
半端な数の鯛のカルパッチョの残りを私に譲ってくれた。
理想と幻想の押し付けだと思った。
彼の目を通せば、私は女神のように美しく、優しい女の子なのだろうか。
「なにそれ、変なの」
そんなの私じゃなかった。
それは「ゆりちゃん」であって私じゃなかった。
それが悔しくて、23時を回る頃、お店を出て渋谷の交差点に差し掛かる前に初めて彼の手を取って、朝まで一緒にいたいと我儘を言ってみた。みるみる赤くなって狼狽る彼のこんな顔初めて見た。
カラオケでもいいよ、など言うので「カラオケでも、何処でもいいよ」と顔を寄せる。何も言わなくなった彼は「夢見てんのかな、ゆりちゃん酔ってんの?」と手を握り返して踵も返す。
酔ってなんかない。
彼の優しさにつけこんで寂しさを埋める狡さへのなけなしの恥を、お酒ですこしでも隠したかっただけだ。
初めてラブホテルに来たときみたいに緊張した。
酔ってなんかないから妙に冴えた頭でどうでもいいことばかり考えた。
おずおずと差し出された彼の手が優しく私の頬に触れて、撫でる。顔に触れられたのは初めてだ。
キスをするのも初めて。随分と激しいキスをするんだね。
今日は高嶺の花ゆりちゃんとセックスだね、良かったね。
服を順番に脱がされ、空気に晒される肌に触れていくとそのたびひとつひとつに「綺麗」と言った。
恋人みたいにキスを何度もして、舌を転がして、そうやって相手を感じるからかさっきまで頭が冴えてたのに、だんだん頭まで熱くなってきて声を漏らす。
身体中を愛撫され、目が合えばキスをするの繰り返し。
余裕がなくなったのか優しく触れてた彼が、私のそこに指をいれ、突然かき乱す。ぐちゅぐちゅと音を立てて、気持ちいいところを探られる。私の反応を見ているんだろう、気持ちいいところにあたるとそこを執拗に攻めた。
「もういれて…」とねだれば「ゆりちゃん…可愛い…」と抱きしめたあと一度キスをしてから挿れる。
ああ、慣れてるなぁと思った。
見慣れない天井を見ながら、私より先に果てた彼を名残惜しく抱きしめたのは、もうきっと前みたいな関係にはなれないからだ。
彼はきっと私が「彼氏と別れて寂しいから」
その寂しさを埋めるように自分と寝たんだと思ってるし、私に恥をかかせないように朝まで付き合ってくれたに違いない。そういう奴なんだ彼は。
雑草が花屋に並べないように、
彼にとっての高嶺の花は花屋には並ばない、
手に取らない。
「ゆりちゃんは可愛いよ」
「だから傷が癒えたら、すぐに新しい彼氏でもできるよ、応援してるよ」
私を選んではくれなかったくせに。
私をもう選んではくれないくせに。
朝まで抱き合って寝て、手を繋いで一緒に駅へ向かう。
もっと知らない街で、普段来ない街で朝を迎えればよかったな。
「またね、気をつけて帰って」
そう言う彼は優しい。みんなに分け隔てなく優しくて、普段は付き合ってもない女を抱くなどしない誠実さがあって、それでいてひどい。
高嶺の花だなんて、馬鹿馬鹿しくて笑ってしまう。
あなたが好きで、私が嫌いな「ゆりちゃん」はどこにもいなかったんだよ。
そんな空っぽの言葉が欲しかったんじゃない。
本当は同世代の男の子が得意ではなかったのだが、せっかく大学生になったのだからと私はフットサルサークルに入った。
そこで出会ったのが彼だった。
男女関係なくみんなに優しく、唯一、自然に話せる数少ない男の子。
不思議なことに在学中はこんな私のことをとにかく「可愛い」と言っていた。
周りもそれを知っていて、密かにあの2人はそのうち付き合うんじゃないかと言われていたが実際はお互いそれぞれまったく違うひとと付き合ったり別れたりしていたし、キスの一つも2人でデートしたこともなかった。
大学を卒業してからはなんとなくSNSで姿を見かけるだけの希薄な関係で、連絡を定期的に取り合うこともない。
まだサークルの仲間で集まってるんだな、とか、いつものあそこで飲んでたんだ、とか。あの時付き合ってた彼女とは別れたんだ、と、Instagramから消えた彼女との思い出の写真がどんなものだったか、私は何故かなんとなく思い出せる。
たまたまだった。
3年ほど付き合っていた彼氏と別れようか悩んでいる私の話を職場の先輩がきいてくれると、焼き鳥が美味しい居酒屋でハイボールを飲み干そうとした時。
「ほかに誰かいないの?男友達とか」
そう言われてふと顔を思い出したのが例の彼だったのだ。
学生時代唯一、私が自然に話せたひと。
「俺の高嶺の花なんだ」
変わってると思った。
そんな手の届かないような綺麗なものじゃない。その辺で生えてる雑草みたいな私を、会った時からずっと良く言ってくれる。
だけどそれ以上越えてこない。
それが心地よかったのかもしれない。
本当にたまたまだった。
久しぶりに飲みに行こうと誘ったのは私。
2人で飲みに行くのは初めてだったと思う。
渋谷駅で待ち合わせて、彼が前日に予約をしてくれていたというお店へ向かう。「実は予約してるんだ」と照れ臭そうに彼は笑った。
「最近はどう?」
「うーん、まずまずかな」
今日は美味しいビールが出てくる少しお洒落なバルでオリーブを食べながら彼の近況をきく。
仕事が楽しいこと。
彼女がしばらくいないこと。
共通の友人の結婚式に行ったこと。
「ゆりちゃんは?まだ彼氏と付き合ってるの?」
「別れたよ、このあいだ」
私はそう目を伏せて、言った。もうビールがぬるい。なんて言っていいかわからないのだろう、彼は少し残ったラガービールを飲み干して気まずそうに言葉を絞り出した。
「え、いつ?」
1ヶ月前くらいかな、と嘘をついた。
だって本当は今日別れてきたんだもの。そう、今日、お別れしてきたの。
それから彼は、ゆりちゃんならすぐつぎの彼氏ができるよ、職場の同僚を紹介しようか、どんなひとが好きなの、と慰めてくれるようだった。
「そうだねぇ、大学生の頃と比べると垢抜けたと思うし最近はお誘いも増えたから、すぐ彼氏できちゃったりして」
「ゆりちゃんは大学生の頃からずっと可愛いよ」
私のことを可愛いと言うこの男は、
同じサークルで他の女の子と長く付き合っていた。
おそらく今思えば能天気で気づいていなかったけれど、当時の彼女は私のことをよく思っていなかったんだろう。彼女と話した記憶がほとんどないし、声も思い出せない。彼と別れた今、彼女はどうしてるんだろう。思えば彼女は、スイートピーみたいな女の子だった。
「ゆりちゃんは、俺の高嶺の花だからずっと手が届かない存在でいてほしいんだ」
半端な数の鯛のカルパッチョの残りを私に譲ってくれた。
理想と幻想の押し付けだと思った。
彼の目を通せば、私は女神のように美しく、優しい女の子なのだろうか。
「なにそれ、変なの」
そんなの私じゃなかった。
それは「ゆりちゃん」であって私じゃなかった。
それが悔しくて、23時を回る頃、お店を出て渋谷の交差点に差し掛かる前に初めて彼の手を取って、朝まで一緒にいたいと我儘を言ってみた。みるみる赤くなって狼狽る彼のこんな顔初めて見た。
カラオケでもいいよ、など言うので「カラオケでも、何処でもいいよ」と顔を寄せる。何も言わなくなった彼は「夢見てんのかな、ゆりちゃん酔ってんの?」と手を握り返して踵も返す。
酔ってなんかない。
彼の優しさにつけこんで寂しさを埋める狡さへのなけなしの恥を、お酒ですこしでも隠したかっただけだ。
初めてラブホテルに来たときみたいに緊張した。
酔ってなんかないから妙に冴えた頭でどうでもいいことばかり考えた。
おずおずと差し出された彼の手が優しく私の頬に触れて、撫でる。顔に触れられたのは初めてだ。
キスをするのも初めて。随分と激しいキスをするんだね。
今日は高嶺の花ゆりちゃんとセックスだね、良かったね。
服を順番に脱がされ、空気に晒される肌に触れていくとそのたびひとつひとつに「綺麗」と言った。
恋人みたいにキスを何度もして、舌を転がして、そうやって相手を感じるからかさっきまで頭が冴えてたのに、だんだん頭まで熱くなってきて声を漏らす。
身体中を愛撫され、目が合えばキスをするの繰り返し。
余裕がなくなったのか優しく触れてた彼が、私のそこに指をいれ、突然かき乱す。ぐちゅぐちゅと音を立てて、気持ちいいところを探られる。私の反応を見ているんだろう、気持ちいいところにあたるとそこを執拗に攻めた。
「もういれて…」とねだれば「ゆりちゃん…可愛い…」と抱きしめたあと一度キスをしてから挿れる。
ああ、慣れてるなぁと思った。
見慣れない天井を見ながら、私より先に果てた彼を名残惜しく抱きしめたのは、もうきっと前みたいな関係にはなれないからだ。
彼はきっと私が「彼氏と別れて寂しいから」
その寂しさを埋めるように自分と寝たんだと思ってるし、私に恥をかかせないように朝まで付き合ってくれたに違いない。そういう奴なんだ彼は。
雑草が花屋に並べないように、
彼にとっての高嶺の花は花屋には並ばない、
手に取らない。
「ゆりちゃんは可愛いよ」
「だから傷が癒えたら、すぐに新しい彼氏でもできるよ、応援してるよ」
私を選んではくれなかったくせに。
私をもう選んではくれないくせに。
朝まで抱き合って寝て、手を繋いで一緒に駅へ向かう。
もっと知らない街で、普段来ない街で朝を迎えればよかったな。
「またね、気をつけて帰って」
そう言う彼は優しい。みんなに分け隔てなく優しくて、普段は付き合ってもない女を抱くなどしない誠実さがあって、それでいてひどい。
高嶺の花だなんて、馬鹿馬鹿しくて笑ってしまう。
あなたが好きで、私が嫌いな「ゆりちゃん」はどこにもいなかったんだよ。