「この関係が辛い?」「ううん、ただ長生きだけしてほしい」
大きくて硬い手のひらが、私の体に毛並みがあるみたいにそっと撫でる。
私よりだいぶ縦に長い彼は、少し丸まって横に寝ていると私を守る防波堤みたいだ。
脱いだ服がきちんと畳んでソファに置かれているのを見て嬉しくなった。
彼はいつも、ものや生活に向けるそれと同じ几帳面さで私を抱く。
生まれ変わったら彼の持ち物になりたい。
いつもそんなことを考えながら眠る。


その日は入院した後輩を見舞いに行った。
仕事のストレスで持病が悪化したらしい後輩は、手術をして一ヶ月ほど入院している。
後輩と後輩の同期と私でよく昼ごはんを食べていたから、後輩と暇つぶしに使えそうな漫画や雑誌を持って会いに行った。
病院に着くまで、これは嫌がるかな?とふざけて買ったぬいぐるみを見ながら笑う。

エレベーターを上がって後輩の入院する階にいくと途端に雰囲気が変わった。
日当たりがいいはずなのに、苔が生えてるみたいな湿り気を感じる。
建物に染み付くような静かさの廊下で、看護婦さんの足音だけがパタパタとしていた。

「大丈夫ですか?」
後輩に尋ねられて初めて急に黙ってしまったことに気がつく。
うん、とだけ答えて入院した彼のいる病室へ向かった。

病室にいる後輩は10kgほど痩せてしまっていて、
何よりすっかりこの建物の雰囲気に馴染んでいることに戸惑った。

一緒に来た後輩の同期は、いつもみたいにくだらない話をたくさんしてくれた。
笑った顔はいつもの後輩と変わらなくてホッとする。
彼らの話に乗っかって笑うだけの私。
買ってきた漫画やふざけて買ったぬいぐるみを渡して、また来るねと言って病室を後にする。

病院を出たところでやっと息が吐けたような気がした。
「顔が真っ白ですけど」
後輩が言う。
「大人なのに情けないね」
ボソッと言うと、
後輩は「本当に。」とちょっと笑って、
「死ぬわけじゃないから大丈夫ですよ」
といつものように後輩は言った。

「また来ましょう」
「うん」
「病院って独特の雰囲気がありますよね」
私の気持ちを見透かすように後輩が続けた。
「うん」 と頷いて、

「溺れるものは藁をもつかむ」と、思い出す。

藁じゃだめなのだ、太くて根の張った木じゃないと。

いつも一緒に軽口を叩いているだけの後輩が知らない立派な男性に見える。
それに比べて、自分の藁具合に嫌気がさした。
「本当に今日はありがとう、助かった」


そのまま解散してすぐに彼にメッセージを送る。

「今から会いたい」

こんなメッセージを送ったのは初めてだった。
当日、しかも土曜の夕方に予定あるか、と送った後に気がついたけれど、
「いいよ、行こうか?来る?」
と返事がすぐに来た。

いく。とだけ答えてその足で向かった。
電車に揺られながら、こんなふうに気持ちを埋めようとする自分に目を瞑る。

「ご飯食べた?」
家に着くと、彼のいつもの第一声。

そうか、いつも私がお腹を空かせて会いに来るからそう聞いているのだと気がつく。
「食べてない」
と答えて「でもお腹空いてない」と続けようとしたのに、
彼は食べに行こうと言ってそのまま財布を取りに行ってしまった。

連れて行ってくれたお店はスペイン料理だった。
パエリアの鍋はすごく熱いから、と言って取り分けてくれる。
「美味しい」
と私が言うのを確認して、
「ここ美味しいんだよ」
と嬉しそうに食べる。

彼の喉が動くのを見ていた。
入院していた後輩の細い喉を思い出して思わず目を瞑る。
後輩は死に至るような病ではない。
繰り返し言い聞かせながら、パエリアを口に運んだ。

帰り道、いつもは手を引かれて歩くほど遅い歩みなのについ早足になる。
とにかく早く抱いて欲しかった。

帰り着いて玄関で靴も脱がないまま自分から抱きつく。
彼は一瞬驚いて、そしていつものように私を抱いた。

最中、いつものように撫でられたりしていると涙が溢れた。
彼は焦ったように「痛かった?ごめんね、ごめんね」と、赤ちゃんをあやすみたいに言う。
こんなに慌てた彼を見るのは初めてで、なぜか笑ってしまう。
「だいじょうぶ、気持ちいい」
とだけ言って目を瞑る。

行為の後、いつもみたいに向かい合って横になる。
「どうしたの?」
と彼は聞く。
「自分でもよくわかんない」
と言って彼の清潔な胸に手を当てる。
動いていることに安心した。

「この関係が辛い?」
「辛くないよ、そのことで泣いたわけじゃない。」
と言うと胸の中に引き寄せられた。
生暖かい身体に埋もれる。
「長生きだけしてほしい」
と言うと、
「俺丈夫だから」
と笑う彼の振動が伝わる。

防波堤に守られて、私の心の波が穏やかになるのを感じる。
弱められた波が私の中の眠気を誘う。

病室の後輩はちゃんと眠れているだろうか。
何を持っていったら喜んでくれるだろうか。

病室で目を背けた彼の細い手首が目に浮かんだ。
思わず目の前の彼の手を触る。角ばって厚い手のひらは暖かい。

そうだ、次に会ったら握手をしよう。
意味もない思いつきに我ながら情けなくなって、彼の手を握ったまま眠った。
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