「もう会うのやめるね」「そっか」
たとえば、セックスのときのキスとか。
暗い部屋の中でも分かるほど、こちらを見つめる瞳がやさしく蕩けるのとか。
「なんでまだアプリ使うの?」と私を縛るような言葉とか。
ご飯を食べに出かけるだけの日があったりとか。1回きりだったけど。

そういうのは全部、私と彼が結ばれるための伏線だと思っていた。その可能性に縋っていた。

今歩いている、彼の家から駅までの道。
この道をいつか2人で手を繋いで歩く、そんな未来を期待しながら、必死に今までの伏線をあつめて浸って、私ひとりだけで納得していた。
それがたぶん、歩くだけじゃなく、その先を生きる原動力になっていたと思う。


「私たち、もう会うのやめよっか」


だから、彼の家を出ていくとき、私がそう言ったのはけじめでもあり、賭けだった。
生きる原動力ではありながらも、不安定で先の見えない関係に悩まされることの方が多かった。
この関係に終止符を打ちたいという気持ちは、どちらにせよ変わらなかったのだ。


「そうなの?」と彼は聞いた。
期待した言葉を貰えるかどうか、私は心臓が痛くなるほどどきどきしていたのに、彼は顔色を変えることなく、淡白に聞き返してきた。

うん、と私が頷くと、彼は「そっか」と言った。


「うーん、寂しいけど。君にも色々ありそうだからなぁ」


色々なんてもんじゃなかった。20代前半の貴重な2年間の何もかもを彼に捧げた。


「理由とか聞かないの」

「聞いたところでって感じだし」

「うん、じゃあ、さよならかな」

「まあまた気が変わったらさ、いつでも連絡してよ」

「絶対ないよ」

「あ、そう。じゃあお互い、頑張ろう」

「なにを?」

「いい人見つけられるようにだよ」


私たちは笑っていた。
馬鹿になりきれていない奴なんて、いちばんタチの悪い馬鹿だ。
別れ際の馬鹿の会話が、脳裏に残響して痛々しい。

朝の道はからっと乾いていた。
通りすがる人の足取りは軽い。私だけが不幸で、1人取り残されたような感覚がより鋭くなる。
日の照らす道を1歩踏み出すたびに、どす黒い邪気みたいなのが地面から足を伝って競り上がってくるみたいだった。
胸の内に靄が立ち籠めて、考えたくもないことがどんどん頭に浮かんでくる。


本当はさよならなんて言いたくなかった。
めちゃくちゃ気持ち良かったし、身体だけでもよかったかもしれない。
もしあのとき笑えていなかったら。
もともとプライドなんてほんの少ししか持ってなかったんだから、捨てちゃえば楽だったのかな。

後悔するだけの覚悟が、ずっと足りていない。


涙がぽろ、と目から零れてマスクに染みた。
彼からの「いつ家来れる?」みたいな言葉をもう一度噛み締めることで心が壊れずに済みそうだったから、スマホを取り出してLINEを開いた。
でも、表示されたのは目を背けたくなるような欲の塊だった。そこにはアプリで知り合った男たちからのメッセージが何件も入っていた。

これも全部彼のせいだ。
彼が私以外の女の子を家に入れているのが悔しくて、私も負けじと男と会っていた。
彼が思いを返してくれないから開いてしまった心の隙間を、他の男に抱かれて埋めることばかり考えていた。

でも、今はそれも必要無い。
1人ずつブロックして削除するのを繰り返していくと、心が幾らか落ち着く心地がする。
そんな自分が惨めで情けなくて、また涙が滲んできた。

最後、1番上に残ったのは、ピン留めしてある彼だった。
そのLINEを見返す気はとうに失せていた。

また連絡が来るかもしれない。

指が震える。勢いで出来るようなことじゃなかった。
彼との繋がりと、2年間の全てをこの瞬間に失う。どちらも大きすぎるのに、たった2つの動作でそれが出来てしまう。

でも。
私は馬鹿ではいたくない。

彼の存在をスマホから完全に消したとき、私はまだ乾いた朝の道の上だった。マスクがビショビショになるまで泣いている私にお構い無く、人々は足早に通り過ぎて行く。
その中に彼は居ない。
居てもこちらを見向きもせずにどこかに行ってしまうんだろう。

全ての人が他人になった世界で、私はひとりだった。
ふたりだと思っていたのは幻で、今までもずっとひとりだった。

このままどこか遠くに行ってしまおうと思った。
お互いが手を伸ばしても触れられないような、そんなところに行こう。

時刻は8時を過ぎていた。もうすぐ最後の電車が来る。
走る私の頬の涙が風に当たって、冷たかったけれど心地は良かった。
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