菊池さんとは、そんなんじゃない。
菊池さんとは、そんなんじゃない。

カウンターだけの、小さなお店。見落としてしまいそうな優しい灯り。
三年前、このお店に出会った。
その料理とお酒に癒され、いい気分になるいつもの週末。
そこのキッチンは、菊池さんの美味しい料理とお酒で溢れてる。

そこで料理を作ってた彼は、何を話すわけでもなく黙々と料理をして、愛想がいいわけじゃないけど、料理は格別に美味しかった。
出される料理を口に運んで「美味しい」と小さく呟けば、カウンター越しに、少し微笑んでる彼がいた。
退屈な仕事の後の、料理とお酒は、私の生活の唯一の楽しみになっていた。

彼はバツイチで、とてもモテてるけど今は特定の人はいらない、と他のお客さんから他愛のない話の中で知った。
元奥さんはすごく美人だった、という余計な情報までもらった。
何にも知らない、彼のこと。
気づかないふり、好意じゃない。だってそういうのを期待する関係でないから。

目の前で彼が料理を作って、美味しそうな香りがするこの席には見えない壁があって、カウンターの向こうとこっち側では世界がまるで違う。距離は近くとも、きっと想像しているよりも遠い。


ある金曜日の夜、今日は友人とふたりで店を訪ねた。
彼女には好きな人がいて、メールのやりとりを嬉しそうに話してくれた。
メールは毎日していて、彼はとてもマメで電話の声を聞くだけで幸せらしい。
ただ、これ以上進まない関係に地団駄を踏んでいた。
時に彼のメールのちょっとした文言や、なかなか彼からのデートの誘いがないことにケチをつけていた。
それでもやっぱり、「でも、好き〜」と最後に酔っ払いながら言うのはいつものこと。

羨ましい。

誰かにこんな風に好きな人のことを話してみたい。
たとえ一晩中泣くような、面倒で厄介な恋でも。
そんな彼女を見ながら、少し笑うカウンター越しの彼にドキドキしている自分を今日も思い知る。

酔いも回り、友人はなんだかんだでウキウキしながら、連絡のついた好きな人のところに飛んで行ってしまって。
「まだ帰らないでしょ?」菊池さんが、私に言う。

初めて二人で、カウンター越しに話した。
去年死んだ私の犬がどれだけ可愛かったか、とか。
初めて会った時は三年前にもなるんだね、とか。
友達は好きな人とうまくいくかな、とか。

「うち、来ますか」

お店には他に誰もいない時間だったから、お酒を飲みすぎたのだ、きっと。
そんな時に横にいたのが、私だったってだけ。

白い壁の広い部屋、シンプルなインテリアで、可愛いヨークシャテリアと暮らしてた。

ギュッってされて、頭を撫でられて、いつもの料理の匂いじゃなくて、タバコの香りがした。
鎖骨のあたりにはホクロがあって、とても長い指。
キスは、赤ワインの味がした。

でも、そこに「 愛情 」はなかった。
カウンターを越えても、それは気持ちがあった訳じゃない。
あったらきっと、こんな風に始まったりしてない。
分かっていた。彼には、まだ別れた奥さんが心にいた。

それでも、寂しさを埋める道具に使って、と思わず抱きしめたのは私からだったかもしれない。
このままシーツに溶けてしまいそうだった。
酒で記憶も曖昧な夜に、今だけは身を委ねていたい、と思った。


「 ごめん、」

そんな一言で始まる朝の展開は、もう最悪に決まってる。

「 飲みすぎましたね、」

どうしていいのか分からなくて、なんとなく笑ってた。

「 ごめんね 」

彼の困ったような顔が、胸に刺さる。
私ばっかりドキドキして、くどくど言い訳を並べて自分を守っていたけど、
やっぱり少しだけ期待していたらしい。

やっぱりひどく酔ってたのだ。彼も、私も。

「 全然気にしてないので大丈夫です 」
「 また、食べに行きますね 」

これからも、美味しい料理とお酒を、いつもの友達と「 美味しい、美味しい 」って、笑い合いたい。
いつもの週末は、退屈な私の生活の、優しい灯火で、ずっといてほしい。
また、カウンター越しに笑いかけて欲しい。

申し訳なさそうに手を振る彼。酔いと目が覚めて、きっと気がつく。
私は、振り返らず始発に乗り込む。

菊池さんとは、そんなんじゃない。

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