彼の右手が気まずそうに空を切った。
高校の友人同士の結婚披露宴が終わり、会場を出ようとすると彼はそこで待っていた。
「よう」
「…よう」
あの頃と同じ、低く優しい声で。
5年前と違うのは、ポンとやさしく頭に乗るはずの彼の手が気まずそうに空を切ったこと。そして、私の左手は2歳になったばかりの小さな手と繋がっていたことだった。
彼とは同じ中学高校に通い、青春を共に過ごした。
数学と英語、お互いの得意科目を教えあったり、文化祭の準備でペンキを付け合ったり、付き合ったり、別れたりして。
メールはおはようからおやすみまで、デートは映画館や本屋さん、それからカフェ。
手を繋いで歩くのが精一杯のかわいい恋だった。
それから別の大学に進んで、バイトにサークルに忙しく連絡を取ることもなくなった2回生の夏。ハタチになりたての若者は飲み会が好きだ。飲もうや、と誰かが言って、高校卒業ぶりに集まった中に彼がいた。
「よう」
「よう」
あの子とあの子が付き合ったらしいで、えっそうなん!ほんならあの子はどうなったん?浪人中やろ?てかあの先生がさ……
積もる話もそこそこに終電が早い子たちを送って、残った彼と2人。目を合わせて笑った。170cmある私でも見上げる彼の顔。
耳から顎のラインが美しくて大好きだった。白い肌がアルコールでほんのり赤い。
ポン、と彼が私の頭に手を載せる。
ハタチになりたての若者は肌を合わせるのが好きだ。
かつて手を繋ぐだけだった私たちは、その夜、初めて繋がった。
彼と私の関係は曖昧だった。
月に1〜2度、多くて3度。
一人暮らしの彼の家に行って、抱かれる。
最寄り駅に着くと、スウェットにサンダルの彼が「よう」と手をあげる。
「よう」とハイタッチをした手が私の頭に載って、彼の家に向かう。
そのまま朝を、多くは昼までベッドで迎える。
近所のファミレスでご飯を食べて「またね」と手を振る。
友人を交えて会うときは今までどおり。
決め事をしたわけではなかったけど、なんとなく、そんな風だった。
彼に彼女がいるかなんて知らないし、私もそんな話をしなかった。
ただ、月明かりを背負って私の名前を呼びながら腰を振る彼の、白く美しい輪郭を撫でるのが大好きだった。
そんな関係が卒業まで続いた。
その後会うことはなくなり、たまに投稿されるSNSで見てはいいねをしたり、しなかったりする程度の関係だった。
5年の間に彼は大手企業に就職し上京、私は結婚出産した。
子育てにも少し慣れてきたころ、学生時代によく遊んだ友人カップルが結婚式を挙げた。
あの日、早い終電で送った子たちだ。
参列したのはほとんどが高校時代の友人で、
もちろんその中に彼もいた。
披露宴も滞りなく進み、新郎新婦の待つロビーに向かおうとするがなんせ子連れは荷物が多い。人の波が引いてから右手で荷物、左手で愚図る子どもの手を引いていくと「持とか」と低く優しい声が降ってきた。「ありがとう」と顔を上げると彼がいた。
「よう」
「…よう」
ポンと頭に載るはずの彼の右手が気まずそうに空を切った。
すこし肉がついたかな、それでも美しい輪郭。
私の左手を、2歳の子がぎゅっと握る。
「しっかりお母さんやってるやん」
そう、私はお母さん。
「せやろ、バリバリのおかんやで」
元気なん、元気やでと当たり障りのないやり取りをして
「またね」と別れた。
同じ寝相で眠る夫と子どもの寝顔を見るのが、
1日の終わりのご褒美だ。
決して得意ではない料理を美味しい、美味しいと食べてくれる
2人を私は愛さずにはいられない。
それでも、カーテンの向こうの夜に思い出すのは、月明かりを背負って浮かび上がる彼の白く美しい輪郭なのだ。
あの日と同じ綺麗な満月の夜。
熱い肌を思い出し、眠る夫を起こさないよう布団の中で今日も息を荒める。
「よう」
「…よう」
あの頃と同じ、低く優しい声で。
5年前と違うのは、ポンとやさしく頭に乗るはずの彼の手が気まずそうに空を切ったこと。そして、私の左手は2歳になったばかりの小さな手と繋がっていたことだった。
彼とは同じ中学高校に通い、青春を共に過ごした。
数学と英語、お互いの得意科目を教えあったり、文化祭の準備でペンキを付け合ったり、付き合ったり、別れたりして。
メールはおはようからおやすみまで、デートは映画館や本屋さん、それからカフェ。
手を繋いで歩くのが精一杯のかわいい恋だった。
それから別の大学に進んで、バイトにサークルに忙しく連絡を取ることもなくなった2回生の夏。ハタチになりたての若者は飲み会が好きだ。飲もうや、と誰かが言って、高校卒業ぶりに集まった中に彼がいた。
「よう」
「よう」
あの子とあの子が付き合ったらしいで、えっそうなん!ほんならあの子はどうなったん?浪人中やろ?てかあの先生がさ……
積もる話もそこそこに終電が早い子たちを送って、残った彼と2人。目を合わせて笑った。170cmある私でも見上げる彼の顔。
耳から顎のラインが美しくて大好きだった。白い肌がアルコールでほんのり赤い。
ポン、と彼が私の頭に手を載せる。
ハタチになりたての若者は肌を合わせるのが好きだ。
かつて手を繋ぐだけだった私たちは、その夜、初めて繋がった。
彼と私の関係は曖昧だった。
月に1〜2度、多くて3度。
一人暮らしの彼の家に行って、抱かれる。
最寄り駅に着くと、スウェットにサンダルの彼が「よう」と手をあげる。
「よう」とハイタッチをした手が私の頭に載って、彼の家に向かう。
そのまま朝を、多くは昼までベッドで迎える。
近所のファミレスでご飯を食べて「またね」と手を振る。
友人を交えて会うときは今までどおり。
決め事をしたわけではなかったけど、なんとなく、そんな風だった。
彼に彼女がいるかなんて知らないし、私もそんな話をしなかった。
ただ、月明かりを背負って私の名前を呼びながら腰を振る彼の、白く美しい輪郭を撫でるのが大好きだった。
そんな関係が卒業まで続いた。
その後会うことはなくなり、たまに投稿されるSNSで見てはいいねをしたり、しなかったりする程度の関係だった。
5年の間に彼は大手企業に就職し上京、私は結婚出産した。
子育てにも少し慣れてきたころ、学生時代によく遊んだ友人カップルが結婚式を挙げた。
あの日、早い終電で送った子たちだ。
参列したのはほとんどが高校時代の友人で、
もちろんその中に彼もいた。
披露宴も滞りなく進み、新郎新婦の待つロビーに向かおうとするがなんせ子連れは荷物が多い。人の波が引いてから右手で荷物、左手で愚図る子どもの手を引いていくと「持とか」と低く優しい声が降ってきた。「ありがとう」と顔を上げると彼がいた。
「よう」
「…よう」
ポンと頭に載るはずの彼の右手が気まずそうに空を切った。
すこし肉がついたかな、それでも美しい輪郭。
私の左手を、2歳の子がぎゅっと握る。
「しっかりお母さんやってるやん」
そう、私はお母さん。
「せやろ、バリバリのおかんやで」
元気なん、元気やでと当たり障りのないやり取りをして
「またね」と別れた。
同じ寝相で眠る夫と子どもの寝顔を見るのが、
1日の終わりのご褒美だ。
決して得意ではない料理を美味しい、美味しいと食べてくれる
2人を私は愛さずにはいられない。
それでも、カーテンの向こうの夜に思い出すのは、月明かりを背負って浮かび上がる彼の白く美しい輪郭なのだ。
あの日と同じ綺麗な満月の夜。
熱い肌を思い出し、眠る夫を起こさないよう布団の中で今日も息を荒める。