セミダブルはこんなに広かったっけ
「正しい歯ブラシの持ち方、知ってますか?」
さっきセブンで買ったばかりの歯ブラシの袋を開封しながら、私は、20年以上も間違った磨き方を続けていたことを歯医者に指摘された話をする。
「グーで握って、腕全体を動かすのはダメなんですって。力がかかりすぎて、満遍なく磨けないの」
「当たり前だよ。そんなの野蛮人の磨き方じゃん」
彼が鼻で笑って言った。
こちらにとっては、衝撃の新事実なのだが。ごく自然にペングリップの持ち方で歯を磨く彼の佇まいは、なるほど洗練されて見える。つっけんどんでスノッブな物言いのくせに、笑うと目元がクシャッとして無邪気な感じがするのが、ズルい。なんてことない仕草に心をくすぐられるのは、私がすっかり酔っているからだろう。
この家で寝るときには、新しい歯ブラシを買って来て、持ち帰らなければならない。ストックはないし、置いて行くと掃除に使って捨てられる。だからウチの歯ブラシは、彼の家に泊まるごとに新しくなるのだが、それが歯医者の推奨する月1回程度のペースと合っていて、ちょうどいいのだ。毎月8日は「歯ブラシ交換デー」だと、病院に掲示されていた。
「じゃあ、歯ブラシがボロくなったらおいで」
おきまりの、受動的な誘い文句。こちらが行く意思を示さない限り、向こうから声がかかることはない。
休日前、都心で終電まで飲んだ帰り、私は自宅最寄りの一駅手前にある彼の家に寄ってもよいか、LINEする。いいよ、がすぐに返ってくるとき、彼もまたどこかで飲んでいて、私と同じくらいには酔っているのだった。
Bluetoothスピーカーから大きめの音量で流れているのは、Vampire Weekendの新譜。ローテーブルの下に雑に収められたPOPEYEの束から、一冊取り出す。既に美容室で読んだものだったが、手慰みに捲っていると、彼がいつものように、クラフトジンのソーダ割りを作ってくれた。うっとりするほど完璧な配合だ。
音楽も、ファッションも、インテリアも、食事やお酒も、趣味が合うことはわかっている。けれど、私たちがそれを共有するのは、この一杯を飲んで歯を磨き、シャワーを浴びるまでのわずかな時間だけ。
セフレと食事に行ってはいけない。セフレと映画を見に行ってはいけない。
おぎやはぎがラジオで熱弁していた。安定した気楽な関係を続けたければ、馴れ合いのまま感情的に深入りしないことだ。
彼が私の歯ブラシを置きっぱなしにしてくれないのはありがたい。私は、いつ彼が受け入れなくなっても構わないし、彼は、いつ私から連絡が途絶えても構わない、と思っている、ということを確かめられるから。
「ホントは、基礎化粧品はいつものやつを使いたいんですよね」
「うるさい、なら持ち歩け」
私は黙って、誰のためにあるのかわからない乳液を、小さな容器からチビチビと手のひらに取った。
ドライヤーをかけて、すぐさまベッドに滑り込むと、彼が音楽を止めて、照明を落とす。
「ねえ、こっち向いて?」
そう言わせたいがために、必ず背を向けて横になる自分を少し恥ずかしく思う。彼がそっと肩に触れた手に吸い寄せられるように寝返ると、私たちは酒臭いキスをした。
ダボダボの部屋着をテンポよく脱がす間も、愛撫を止めない器用さに感心させられる。
「して?」
あくまでも「酔った女の子が押しかけてくる」体裁を保とうとする彼が、甘ったるい声を小さく漏らしてねだるのを、もっと焦らして、弄ぶべきなのかもしれない。そんな考えはよぎるだけで、私はすかさず前髪をかき上げながら布団に潜った。今しがた太ももに感じていたそれを、両手でそっと包み、ゆっくりと口に含む。
お酒飲んだ後って、喉が乾くから、やりにくい。
冷静な思考が、くっきりとした輪郭を持たないよう、舌と唇に意識を集中させる。布団越しに聞こえる彼の篭った吐息。喉の奥が苦しくて、脳の酸素が減っていくのがわかる。水の中にいるみたい。
ぷはーっ。
火照った鼻先の汗を拭う隙に、彼は手早くコンドームを用意する。お互いを喰らい尽くしてしまいそうなキスに反して、そうっと挿入ってくる彼が、痛くない?と確認する。
「ん......気持ちいいよ」
やっと言葉を絞り出すその瞬間、私と彼は、何かとてつもなくロマンティックな、概念の塊として在るような気がした。
後ろから突く角度もタイミングも、その最中の愛撫も、どうしてそんなに完璧なんだろう。枕に顔を埋めているのに、漏れ出す自分の声があまりにもうるさくて、笑ってしまいそうだ。彼は、私の首に手を回して、叫び続けられるほどの緩やかな力加減で喉元を押さえ付ける。
また、水の中に沈んでいく。深く。
深くて、温かい。
このまま、終わってほしい。
「キスして」
私を向き直らせて、彼が当たり前のようにせがむので、なんだかお腹がぎゅっとなった。
ねえ、ダメだよ。こんなかたちで、そんなによさそうにしたら。
私以外の女の子は、きっと、すぐ好きになっちゃうんだろうね。
「気持ちいい?」
「気持ちいい」
それから、私たちは、隣り合って別々に眠りにつく。何事もなかったかのように。
彼の背中をぼんやりと見つめ、暗闇に目が慣れてきた頃、懲りずにまたこの家に来てしまったことを悔やんだ。
セミダブルはこんなに広かったっけ、と、今さらなことを思って、目を閉じた。
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